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芸能界で話題になっているニュースを中心に事件や事故のニュースなども取り上げて毎日紹介しています。

    カテゴリ: 事故



    1 どどん ★ :2019/08/15(木) 21:46:23.73

    「事件後、1か月に2、3回は亡くなった2人のご冥福を祈るためにここへ来ています。高齢者の運転は危険だと再認識しました。それなのに加害者が特別扱いされているような印象です」

     とJR池袋駅から約20分歩いて花を手向けにきた40代の主婦は言う。事故現場の献花台は約1か月前に撤去されていた。

    加害者が逮捕されない背景

     今年4月、東京都豊島区東池袋で旧通産省工業技術院の元院長・飯塚幸三容疑者(88)が運転する乗用車が暴走。松永真菜さん(31)と長女・莉子ちゃん(3)の尊い命が奪われた。

     死亡事故にもかかわらず、飯塚容疑者は逮捕されなかった。背景について、あるテレビ局の報道記者はこう語る。

    「元高級官僚なので、警察が忖度したのではないかと騒がれました。世論としては特別扱いだ、不公平だという意見が多く“上級国民”と揶揄する声もあった。ただ、
    年齢的にみると、ほぼ逃亡や証拠隠滅のおそれがないため、逮捕せず捜査する手法をとっただけかもしれませんけれども」

     心証が悪いのは、それだけではなかった。

     飯塚容疑者は、警察の任意の事情聴取の際に、マスコミから身を隠すように帽子、サングラス、マスクといった完全防備の状態。そして哀れさを演出するかのごとく、
    両手に杖を持っていた。

    「さらに、現場での実況見分のとき、今度は白髪頭に眼鏡をかけていましたが、献花台にお参りせず、警察とのやりとりでは、杖の先で“あそこ”と指し示していましたからね。あれはよくない」(同)

    中略

     奪った命の重みをどう受け止めているのか、加害者としてどう贖罪しようと考えているかを聞くため、容疑者が住む都内のマンションを訪ねた。玄関には管理人がいて、

    「ダメダメ。これ見て」

     と取材厳禁の貼り紙を指さして、インターホンも押させてくれない状態だった。

     飯塚容疑者の知人は、

    「飯塚さんはいい人よ。あんな酷い事故を起こしてしまったので、心身ともにおかしくなって杖をつくようになったし、精神的におかしくなったと思うの。だって、
    あれだけかわいそうなことをしたんだもの」

     と庇った。

     刑事罰は司法判断を待つほかない。しかし損害賠償する意思を示す道はある。旧工業技術院の院長時代は年収約2000万円、退職金として約3000万~4000万円を受け取ったとされる。

     農機大手の『クボタ』に役員として天下りした14年間で副社長まで上り詰めた。クボタは「報酬は教えられません」(担当者)というが、2017年の有価証券報告書によると、
    取締役7人に対する年間報酬総額は6億2700万円。頭数で割ると9000万円近い高給取りになる。ほかに日本計量振興協会会長なども務めている。

    「それでも、元高級官僚とは思えない普通のマンションに住んでいらっしゃるし、車も普通のプリウスだから金銭的には問題ないと思いますよ」

     と近所の男性。

     だが、冒頭の40代主婦は、こう吐き捨てた。

    「金銭的な問題を解決できても、失った命や幸せが戻ってくるわけではないですから。高名な方だったのに晩節を汚された気がします」

     飯塚容疑者は瑞宝重光章を受けている。しかし、内閣府賞勲局によれば、

    「有罪判決を受けた場合は、罪状によって勲章をとりあげるケースもあります」

     とのことだった。

    週刊女性
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190815-00015781-jprime-soci&p=2
    容疑者の自宅マンション玄関には貼り紙が

    (出典 jprime.ismcdn.jp)


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    (出典 oki.ismcdn.jp)



    1 シャチ ★ :2019/08/14(水) 09:23:27.36

    中州でキャンプをしていた行楽客が増水した川に流され、13人が死亡した神奈川県の山北・玄倉川水難事故から14日で20年になる。当時、現場に最初に到着した足柄上消防組合(現・小田原市消防本部)の救助隊員たちは現在も救助の現場で汗を流しながらも、遠い夏の救えなかった命について自問自答している。

     1999年8月14日朝。足柄上消防組合(当時)の本署があった松田町でも前夜から激しい雨が降り続いていた。本署当直だった武尾法久さん(46)=現・市消防本部小田原消防署国府津出張所=は普段の自転車通勤をやめて徒歩にした。

     実際、雨は前日の13日昼ごろから降り始め、山北町の丹沢湖周辺では同日正午から15日午前0時までの総雨量が271ミリと、わずか1日半で通常の1カ月の8割程度の雨が降った。

     「中州に残っているグループがある」。午前8時半の当直交代直後の出動。中津川正哉さん(46)=現・同消防署南町分署=らは1部隊5人で向かうことになった。内田政志さん(44)=現・同消防署=は「中州」と聞いて陸地を連想、「安全監視だけで任務が終わるかも」と思った。

     だが、丹沢湖への入り口にある玄倉川橋から玄倉川を2キロほどさかのぼった現場は、想像を絶していた。

     激しい雨でけぶる川の中に、十数人の一団が見える。距離にして70~80メートル。中州は既に水没し、大人の膝ぐらいまで水位が上がっている。激流に流されないよう男性数人が上流で流れをガードし、残りの人たちが互いの体をつかみ、下流側に楕円(だえん)形になっていた。

     取り残された人数について出動時に「何人かいる」とだけ聞いていた副隊長の大澤恵一さん(55)=現・同消防署南町分署=はその数に驚く。子ども6人を含む18人。これまで一度に救助したのは多くて2、3人で、さらに激流という状況に不安を覚えた。

     対岸にロープを渡し、ボートで取り残された人をピストン輸送するという救出プランで、大澤さんと内田さんが対岸に回ることになった。玄倉川橋まで戻って対岸に渡ると、あとは足場を探しながら上流方向へ崖を移動していった。石灰岩でもろく、雨で滑った。内田さんは「危ない場所もあったが、急がないと、と必死だった」と振り返る。

     この間、残った隊員は歩いて川を渡れるかを試した。武尾さんが先を持つロープを体に巻いた中津川さんが、川に足を踏み入れ数歩進んだ。水流ですぐに靴の下の砂がさらわれ、足が沈んでいく。さらに体全体が水中に沈み、流された。

     武尾さんに引き上げられた中津川さんは「自力で川を渡るのは無理だった。ボートだったとしても難しかったかもしれない」と当時の水流の強さを思い出す。

     大澤さんらは約1時間半かけて現場の対岸に着いた。救命索(ロープ)が付いた先端部を飛ばす発射銃を放ったが、1発目は立ち木に引っ掛け失敗。方向を変え2発目は成功した。太さ3ミリの救命索に救助で使う12ミリのロープを2本結びつけて対岸から引っ張った。

     水流が強く、固く握り締めた手から救命索が持って行かれてしまう。大澤さんが救命索を後ろの立ち木に巻いて抑え、内田さんが少しずつ引いていった。水面を対岸へ動いていく3本のロープの結び目が、強い水流で激しく回転していた。

     あと少しで内田さんの手が結び目に届くところだった。そこで救命索が切れた。激しく回転していたため、ねじり切れたのだ。

     そのすぐ後、中州に取り残されていた一団が崩れるようにゆっくりと流されていった。

    ◆玄倉川水難事故 1999年8月14日、山北町玄倉の玄倉川の中州で前日からキャンプをしていた子ども6人を含む行楽客18人が大雨やダム放流による増水で取り残され、救助活動中に流された。5人は救助されたが、13人が死亡した。

    神奈川新聞社
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190814-00000005-kana-l14


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    (出典 im.belluna.jp)



    1 ばーど ★ :2019/08/13(火) 06:25:25.12

    12日午後3時15分ごろ、大阪府守口市大久保町4の木造2階建て住宅で、住人の高齢夫婦が亡くなっているのが見つかった。2人に外傷はなかった。室内は窓や扉で閉め切られて熱気が充満した状態だったといい、府警は猛暑による熱中症で死亡した可能性があるとみて死因を詳しく調べる。

     府警守口署によると、夫婦は2人暮らしで、無職の吉田忠雄さん(88)と妻正野さん(86)。吉田さんは1階の仏間に横たわって倒れ、正野さんは同じ階の洋室のマッサージチェアに座り込むような状態だった。仏間では扇風機が1台作動したままだった。洋室にはエアコンがあったが、動いていなかった。2人はともに長袖と長ズボン姿だった。

     府内に住む長女(58)が今月10日ごろから電話をかけていたが、応答がなかったためこの日訪問。2人が倒れているのを見つけ、110番した。正野さんは6日にごみを出す姿を、近所の住民が目撃しているという。

     大阪管区気象台によると、守口市に隣接する大阪市では9日以降、最高気温が35度以上の猛暑日が続いている。【安元久美子、真野敏幸】

    8/12(月) 23:02
    毎日新聞
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190812-00000056-mai-soci


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    (出典 zukan-move.kodansha.co.jp)



    1 記憶たどり。 ★ :2019/08/12(月) 18:01:46.70

    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190812/k10012032111000.html

    520人が犠牲になった日航ジャンボ機の墜落事故から12日で34年となり、墜落現場の群馬県上野村では
    朝早くから遺族などが慰霊の登山を始めています。

    昭和60年8月12日、お盆の帰省客などを乗せた日本航空のジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落し、
    国内の航空機事故としては最も多い520人が犠牲になりました。

    事故から12日で34年となり、上野村では朝早くから遺族などが墜落現場の「御巣鷹の尾根」を目指して
    慰霊の登山を行い、亡くなった人の墓標に花を手向けたり線香を供えたりしていました。

    また、墜落現場にある慰霊碑「昇魂之碑」の前で手を合わせて犠牲者を悼んでいました。

    夕方にはふもとにある「慰霊の園」で追悼慰霊式が行われ、遺族などが墜落時刻の午後6時56分に合わせて
    黙とうをして、空の安全を祈ります。

    事故から34年がたち関係者の高齢化が進む中、事故の記憶を次の世代にどう伝えていくかが課題となっています。

    ■親戚亡くした大学生

    事故で親戚の石倉六郎さん(当時41)を亡くした茨城県の大学生の磯天成さん(19)は、両親とともに御巣鷹の尾根に登りました。

    磯さんは「事故のことを知らない人も多くなり、この時期が近づかないと思い出さない人もいると思います。
    きょうは『事故を忘れないよう元気に登ってきました』と伝えにきました」と話していました。

    ■機長の次男も手を合わせる

    事故機の機長だった高浜雅己さん(当時49)の次男の浩二さん(48)は、息子の優人くん(9)と一緒に墓標に手を合わせました。

    浩二さんは、「ことしは母がケガをして慰霊登山に来られなかったので、来年は母と一緒に来ますと墓標の前で伝えました。
    34年は長いようであっという間でした」と話していました。

    また優人くんは「ことしに入って飛行機が好きになったので、将来はパイロットになりたいです」と話していました。

    ■妹一家を亡くした男性

    事故で妹の吉田仁美さんとその夫、それに生後3か月の子どもの一家3人を亡くした奈良県御所市の田仲威幸さんは、
    「一家全員いなくなってしまったので、遠いところに嫁いで連絡がないような気持ちでいます。さみしい思いをしています」と話していました。

    ■機長同僚の元航空機関士

    日本航空の元航空機関士で、亡くなった機長らと同僚だった千葉県佐倉市の藤川秀男さん(84)は、
    「ローテーションで任務にあたっていたので自分も事故機に乗っていた可能性があった。航空安全をお守りくださいと伝えました」と話していました。


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    http://asahi./test/read.cgi/newsplus/1565588224/
    1が建った時刻:2019/08/12(月) 06:43:42.21


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